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アヴィニョン演劇祭のストライキについて:理解するための3つの問いと個人的見解

現在、フランスでは舞台芸術関係の短期契約労働者、アンテルミタンたちのストライキによって、ヴァカンス期間中に開催されるフェスティヴァルのいくつかが中止となった。7月はじめから一ヶ月にわたって開催される最大級のフェスティヴァル、アヴィニョン演劇祭とエクスサンプロヴァンス音楽祭は全面的中止こそ免れたものの、アンテルミタンたちの集会やストによって混乱が生じている。

フランスの舞台芸術業界でアンテルミタンとはどういう存在なのか、彼らが何に対して抗議を行っているのかについてまとめてみた。

 1.アンテルミタン intermittentsとは何か?

アンテルミタンとは舞台芸術・視聴覚産業で働くフリー労働者で、プロの俳優、ダンサー、技術者の大多数が該当する。ショービジネス業界では、公演ごと、ツアーごとといった短い期間の契約で断続的に(形容詞 intermittentの意味)働く人が多いことから、アンテルミタンと呼ばれるようになった。

 

アンテルミタンはもともとは映画産業のために1936年に定められた特殊な法的身分規定だった。映画産業は膨大な数の技術者や撮影の管理者を雇用していたが、彼らに恒常的な職を保障することができなかった。短期の契約を期限なしで更新していく形態で働いていた当時の映画業界の労働者が失業補償を受けられるようにこの身分規定が定められた。アンテルミタンという身分規定の適応範囲は1969年にアーティストや舞台芸術関係の労働者にも広がった。

 

アンテルミタンの数は年々増大している。1989年にはアンテルミタンは5万人だった。それが1998年には10万人になった。2011年にアンテルミタンとして失業保険料を支払ったのは254, 394人である。このうちの43%(108, 658人)が一日分以上の失業手当を受け取った。

2.アンテルミタンの失業補償制度はどのようなものか?

アンテルミタンに加入し、次の職を得るための失業手当を受け取るには、技術者は六ヶ月間に507時間、アーティストは6.5ヶ月の間に507時間の労働を行ったことを証明できなくてはならない。なお一般的な失業保険では給与所得者は28ヶ月間に610時間の労働の証明があれば、失業手当を受け取ることができる。

 

労働時間の算定は、この業界ではしばしば難しい。舞台芸術などの場合、公演やツアーごとの雇用契約は非常に短期間である上、稽古や公演本番などための拘束時間も不定であることが通常である。アンテルミタンの労働時間算定方法としては、一回の公演で支払われるギャラの労働時間はすべて込みで12時間分の労働をしたとみなして計算される(たとえ稽古や衣装合わせなどでこれ以上の時間が必要であった場合でも)。契約が5日以上の場合は、一日あたり8時間の労働を行ったとみなされる。

 

アンテルミタンは、労働時間の総計が定められた期間内に507時間に達すれば(およそ3ヶ月半の労働に相当する)、最大8ヶ月間、失業手当が給付される。一般的な失業保険では一日の労働時間が、一日分の給費に相当している。一般的な失業保険では610時間労働の証明で、4ヶ月間の失業期間中に平均して6583ユーロ(約92万円)の手当が支給されるのに対して、ほぼこれと同じ収入のアンテルミタンは、507時間の労働の証明で、8ヶ月間の間に14937ユーロ(約209万)から15389ユーロ(約215万)の手当が支給されるという試算がある。フランスで失業保険の管理を行うMedef(フランス経営者運動)は、この格差を不公平であると批判している。経営者団体もアンテルミタンが優遇されていると、この特殊な失業保険のための身分規定を批判している。

 

しかしアンテルミタンの給与の中央値は、13700ユーロ(約192万円)であり、一般企業や半官半民の職種の給与の平均18400ユーロ(約258万円)よりかなり低い。労働環境は一般的な労働者に比べるとアンテルミタンのほうが一般的には、不安定であり、多くのリスクを負っていることは言うまでも無い。高額所得のアンテルミタンもいることは確かだが、業界全体の状況と彼らの雇用形態の特殊性を考慮すると、アンテルミタンはその失業補償制度によって優遇されているとは言えない。

3.アンテルミタンたちは今、何に対して怒っているのか?

夏のフェスティヴァルのいくつかが、アンテルミタンのストライキで中止になった。フランス最大のフェスティヴァルであるアヴィニョン演劇祭とエクス音楽祭もアンテルミタンたちの抗議活動によって混乱は必至の状況となっている。アンテルミタンたちは、失業保険制度の改定に異議申立を行っているという。彼らが反対している改定の内容はどのようなものなのだろうか?

 

舞台関係者の周辺ではアンテルミタンたちの運動への共感の声が大きいが、彼らが享受している失業保険制度への批判もある。アンテルミタンたちの失業保険制度は慢性的な赤字となっており、会計検査院は失業保険制度全体の赤字額の1/3がアンテルミタンの失業補償金が原因であると指摘している。一方、求職者全体のなかでアンテルミタンが占める割合は3%に過ぎない。Medef(フランス経営者運動、日本の経団連に相当)はアンテルミタンの失業補償制度を廃止し、一般的な失業保険に一本化すべきだという提言を2014年2月に行った。

 

アンテルミタンたちが今、抗議活動を行っているのは、3/22に経営者団体と三つの主要労働組合(CFDT, FO, CFTC)が合意した失業保険制度改定について協定の内容に対してである。この協定は6/30に政府によって承認され、来年以降に施行される。しかしこの3/22の失業保険制度の改定は、アンテルミタン独自の補償制度を廃止するという内容ではない。

 

3/22の失業保険制度改定ではアンテルミタンの失業保険制度について、何項目かの労働条件の不利益変更が含まれていた。アンテルミタンが反対を表明したのは、この不利益変更についてなのだ。それではどのような不利益変更がこの改定には盛り込まれていたのだろうか?

 

主な改定は以下の三点だ。まず月あたりの失業手当支給額に5475ユーロ(税込みの支給額、約77万円。一般的失業保険の支給上限額の175%)の上限を設けたこと。第二点は実際に失業手当の支給が開始される時期が、場合によってこれまでより遅くなってしまうこと(このために無給期間が長くなってしまう)。三点目は毎月支払う保険金が2%増額されることである。さらに2003年の改革でペンディングにされていた労働時間の計算方法(とりわけ稽古の時間をどう組み入れるか)について、このたびの改定案で言及されていないことにもアンテルミタンは不満を抱いている。

4.アンテルミタンの問題について、ストライキという手段についての個人的見解

日本的な感覚では、これらの労働条件の不利益変更への異議申立のために、ストライキという脅迫的手段を用いるフランスの労働組合の戦闘性は恐るべきものだと思う。日本の労働組合もあるいはこれくらいの戦闘性を持って、一方的な労働条件の不利益変更に反対を唱えるべきなのかもしれない。しかし、率直に書くと、「この程度の」の条件闘争でストライキに持ち込むフランスの労働運動のあり方には違和感も覚える。団交と広報活動によって、相手を追い詰めることは不可能なのだろうか? ストライキという手段を掲げつつ、同時に団交、広報活動を行うのがフランス的なやり方なのだろうが。

 

 一労働者、それも大学非常勤講師という非正規雇用の労働者として、雇用側による「弱い者いじめ」と言ってもいいような抑圧・横暴に対して、弱い立場にある労働者がストライキという手段を取って対抗することは大いに支持したい。しかし、これが日本人的感覚なのかもしれないが、ストライキは繰り返される団交でも進展が見られず、労働委員会調停や裁判でも効果がないような場合の最後の切り札であるような気がするのだ。フランスはアンテルミタンに関わらずやたらとストライキが多い国であり、市民も一般的にお互い様としてストライキを受け入れている雰囲気はあるのだけれど、余りに安易にストライキという手段に訴えすぎているという印象が私にはあった。そしてトータルでみると、この頻発するストライキは、劣悪な労働環境にいる労働者たちの不満のガス抜きにはなっても、真の労働条件の改善にはつながっているようには思えない。もっともこれはごく短期間、フランスに滞在したことのある留学生の印象に過ぎないわけだが。

 

また舞台人に対しては、彼らの労働者性を否定することはできないのだけれど、一般の職とは異なる特別な職業人であるという幻想を私は観客として抱いている。劣悪な労働環境にある舞台人たちが連帯して抗議を行い、改善を求める運動を行うのであれば、私はそれを大いに支持したい。しかしその手段として、彼らがストライキを選ぶとすれば、私の気持ちは揺れ動く。とりわけ舞台芸術関係者の労働闘争の手段としては、ストライキは最後の最後の切り札であって欲しい。舞台芸術の職業人ならば、社会に対する異議申立はやはり作品上演を通して行うというのを第一に考えて欲しいように、観客の私は思うのだ。上演を通じてのメッセージにより観客と社会に問題提起を行う、これこそ舞台芸術家の使命というべきものではないだろうか?

 

自分たちの労働条件の改善が普遍性を持つ重要な問題と思うのであれば、ストライキという手段ではなく、パフォーマンスを通じてわれわれにそれを伝えて欲しい。ストライキも確かに一つの表現手段であるかもしれない。しかしこれは表現を職としていない一般労働者たちが持ちうる数少ない抗議表現の方法であり、独自の表現手段を持つ芸術家がまず検討・選択すべき方法ではないと私は思う。ストライキという手段は、舞台芸術家が自らのアイデンティティそのものである上演という表現・コミュニケーション手段を放棄してしまうことである。舞台人にとって自殺と言えるようなこの行為をあえて選択する機会は慎重に選ばなくてはならない。

 

以上が日本の一観客によるアンテルミタンたちのストライキへの見解である。フランスの舞台業界という私の日常と関わりのない世界の話ではあるゆえに、私の理解が浅薄で間違っているところもあるかもしれない。事実誤認、誤解等があればご指摘いただければ幸いである。この夏は二泊三日だけとはいえアヴィニョンに滞在し、演劇祭の公演を見るのだから、たとえ的外れのものであったとしても観客としてこうした見解を述べることは許されると思う。